ワールドメイト
どんなに貧しい人でも無料で治療が受けられる、カンボジアのシアヌーク病院 サイトマップ
寄付・支援方法
カンボジアの今
シアヌーク病院とは
活動内容と目的
建設ストーリー
組織と運営
マンスリーレポート
医療レポート
内科医療
外科医療
看護部門
放射線医療
薬局部門
HIVへの取り組み
医療図書館
患者の物語
活動報告
患者の物語
患者の物語 モユン・チャンティさん

モユン・チャンティさん
 モユン・チャンティさんは、カンポン・スプー州から来院した32歳の女性です。彼女は母親が亡くなって孤児となり、9人の子供をもつ、母親の友人の養子になりました。農家なので、生活は天候と収穫に左右されます。10人の子供のための十分な食料を収穫できないことも、たびたびあったそうですが、何とか生き延びてきました。そんな状況から、チャンティさんも働ける年齢になると、地元の工場に職を得て、月60ドルを稼ぐようになりました。彼女は結婚するまで、里親の家族と一緒に暮らしていましたが、結婚後は、ご主人の家で同居するようになりました。

 ハネムーンは、ご主人が仕事に戻らなくてはならなくなり、途中で切り上げました。カンボジアとタイ国境の兵士としての、任務が下ったのです。彼が赴任中、チャンティさんは激しい胃痙攣を起こし、伝統治療師にかかって、地元の薬屋で痛み止めを購入しました。最初はよくなったように感じましたが、痛みがぶり返し、さらにひどくなったのです。今度はちゃんと医師に見てもらおうと、その診療に自分の給料全額を使ったそうですが、それでも回復しませんでした。痛みはさらに激しくなり、出血まで起こしていました。そのとき、彼女の妹がシアヌーク病院で手術を受けて回復したことを思い出し、隣人から交通費を借りて、プノンペンまで来たのです。

 病院に辿り着いたとき、チャンティさんは意識を失いかけていました。顔は青白く、衰弱し、激しく出血してました。すぐに救急医療チームの手当てを受け、容態を安定させる処置がなされました。慌しく外科医が呼ばれ、その間にどこから出血しているのか調べました。チャンティさんは、左の卵巣嚢腫が破裂していたことが判明。すぐに手術していなければ、急激な失血で即死していたところでした。

 外科部長であるチャンタ医師は、「即刻処置していなければ、彼女は命を落としていました。ぎりぎりのところで病院に到着できて、本当に幸運でした。2、3日で回復し、帰宅できるでしょう」と語りました。

 チャンティさん曰く、「ここに来なければ、今生きていられなかったと思います。ものすごい痛みでした。私の家族は、この天使のような病院を信頼しています。私が最悪の絶望状態にあるときに、励ましてくれた医師やスタッフのみなさまに、心からお礼申し上げます。彼らは、日夜、本当に丁寧に手当てをしてくださいました。温かな支援と激励が、本当にうれしかったです」



患者の物語 ソク・ニィさん

ソク・ニィさん
 ソク・ニィさんは、5人の子供を抱える未亡人で、新たな新たな統合的家屋解決のための、HIV/OVCプログラム(EHOPHHS)に当選した36人の1人です。このプログラムは、HIV患者とその家族を、シアヌーク病院が、エルトンジョン財団の支援を受けた、ハビタット・フォー・ヒューマニティ・カンボジアと提携し、支援するものです。

 ニィさん曰く、「今、私の家族は幸せです。子供たちも、ついに自分の家と呼べる場所を得て、将来に光が見えてきました。もう、家賃が払えなくて追い出されることに、おびえなくてすみます。死ぬときも、チロイ・チャンワ橋の下ではなく、この自宅で安らかに最期を迎えられるのです。」