プラックさんは、二年前に救急患者として初めてシアヌーク病院に運ばれ、六日間入院しました。今回も、ここで治療を受けられることを喜んでいます。あのとき、もしシアヌーク病院が存在していなければ、治療費を払えない自分は死ぬしかなかったと述懐するプラックさん。夫は、治療が受けられないまま一九八五年に五十五歳で死亡。胸の痛みを訴えて他の病院に行ったところ、タブレットをもらっただけで送り返されてしまったのでした。プラックさん自身、以前地元の病院を訪れて薬代を少し払いましたが、診断もしてくれなかったそうです。ある時など、治療と称して、うさぎのシチューとココナッツミルクを医師から与えられたこともあったといいます。
今回、心臓発作の治療を受けるプラックさんに、十歳になる孫のハリムくんが付き添っていました。おばあちゃんの花柄のバッグを持って、恥ずかしげに微笑みながら、ハリムくんはおばあちゃんがここで治療を受けられることがうれしいと語っていました。プラックさんは、彼の数少なくなってしまった身寄りの一人です。彼の母親は五年前に彼の兄を出産した際に死亡しています。今回もプラックさんは、正確な診断を受け、速やかに治療を受けられました。プラックさんは、「私は、シアヌーク病院に対して、感謝の気持ちを捧げる以外、何もお返しすることができません。この病院の皆様のこと、そして皆様がどのように私を救ってくださったかを、一生忘れないでしょう」
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