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1999 3
マンスリーレポート
HIVワクチン開発国際会議
蔓延するエイズ感染を歯止めするには、
政府と支援団体の協力が不可欠

 タイの首都バンコクで、3月15 〜19日にかけて、 HIV ワクチン開発国際会議(ハーバードエイズ研究所後援)が開催されました。この会議に、当病院のギリアン・ホール医師が、カンボジアにおけるHIV/エイズの実態に関するスピーカーとして招待されました。当病院からは他にキャメロン・ギフォード院長、ソク・ファン医師、そしてマーク・レミジャン氏が参加しま当病院HIV/エイズ部長を務めるギリアン・ホール医師は、そのスピーチのなかで、カンボジアにおける社会経済的そして歴史的状況、および教育と医療の欠乏こそが、この国に世界で最も急速にエイズが蔓延する地域という汚名をもたらしたことを指摘。そして、伝統的な社会規範の変化により、警察、軍、ビール・タバコ販売促進業者や風俗産業従事者などのうち、悲しいことに特に若者が犠牲になっていること、更には男性の不倫を許容する風潮が、既婚女性を高い感染率にさらしていることを訴えました。

 アジア近隣諸国から学んだ教訓を生かし、このような状況に歯止めをかけるには、政治的な断固たる対策と協力が不可欠です。次のような活動を根付かせて予防措置を講ずるために、財政的および技術的援助が求められています。たとえば、学校および高危険度に晒さらされる職場におけるエイズ啓蒙教育やコンドーム使用の普及などです。若干の抗ウィルス薬も販売されていますが、ほとんどの人々は貧困のために手を出せないのが実状です。

 シアヌーク病院は、生命に関わる救急医療から、精神的、社会的援助そしてカウンセリングまで、あらゆる分野にわたって幅広い治療と支援を提供している、カンボジアで唯一の病院です。その活動が、カンボジア人の生活、家庭や地域社会におけるこの難病に対する認識を大きく向上させてきたと自負しています。そして、その機会を与えてくれたのが、市内や地方から日々来診に訪れる多数の患者たちだといえるでしょう。


カンボジア初のHIV会議開催

 ソック・ファン医師は、第1 回カンボジアHIV 会議において、地域社会のエイズ患者を対象に実施している、ホームケアチームの活動について発言を要請されました。

 多くの支援組織の協力により、家庭を基盤にしたこの治療プロジェクトは、大きな成果を挙げています。この活動を地方にも展開し、また家族や地域社会における教育啓蒙を推進することなど、拡張のために様々な計画が進められています。

 3 月度は、6,532 人の患者が来診に訪れました。47 人が内科病棟に入院、189 人が外科診療を受けそのうちの 115 人が地方への外科往診での患者であり、63 人が外科手術を受けています。


ボランティア医師が、貧困患者に対する技術と対応をアドバイス

 ウィリアム&キャロリン・ウェスター医師夫妻は、3 歳と5 歳の息子を連れてカンボジアを訪れ、その休暇をボランティアとして過ごされました。

 ビル医師は、米国のトップレベルの医学学校で学び、シカゴのクック郡医療センターでの勤務で得たHIV/エイズを含む感染病治療に関する経験を披露してくれました。

 ビル医師は、救急治療室および内科病棟での勤務のかたわら8 回の講義を実施し、その豊富な技術と知識を分かち与えてくれました。さらにこのアジア滞在中に、HIV ワクチン開発国際会議にも参加、カンボジアにおけるHIV 治療、予防および研究に関する討議に価値ある提言をされたのです。


外科および患者交流についての講義

 産婦人科のキャロリン・ウェスター医師は、6 回にわたる午後の講義で、当病院外科インターンたちに対して、貴重な指導をしてくれました。当病院では、ふつう産婦人科の患者は母性健康病院へ転送することになっています。しかし彼女の協力により、当病院のインターンたちは、外科クリニックにおいて、また2 つの重大な症例の治療に助手として携わる中で、多くのことを学びました。

 外科手術は、永年の疼痛と骨盤肥大に悩む32 歳の女性に対して施されました。

 この女性は孤児として育ったため、治療を受けるための家族の支援もお金もなかったのです。彼女は、キャロリン医師と肥大した子宮筋腫の治療方法について話し合い、カンボジアにおける限られた婦人科治療環境と使用可能な輸血量などを考慮した結果、子宮摘出に踏み切ることを決心したのでした。

 もう一つの症例は、伝統的な薬を服用してきたにもかかわらず、2 年間にわたる不妊、絶え間ない痛みを訴えて当病院を訪れたキム・バニーさんでした。超音波診断の結果、両卵巣膿腫と子宮内膜症が確認されました。どの治療方法を選択するかについて話し合った結果、彼女は手術すると痛みはしばらく続くが、妊娠機能を残せることを理解し、手術に同意しました。

 この2 例の女性たちが、受胎能力や治療方針などについて医師と話し合いができたことに喜びと満足を表しているのを目の当たりにして、インターンたちは大切なことを会得できたのでした。こうした治療法について医師と患者が深く話し合うという姿勢は、カンボジアにおいては稀なことなのです。


ハーバードエイズ研究所からのゲスト

 ハーバードエイズ研究所・免疫伝染病部・公衆衛生学校のマックス・エセックス医師が、この3 月、ハーバードエイズ研究所のリチャード・マーリンク医師およびハーバード大学公衆衛生学校生命倫理学教授ステイーブ・ラガコス氏と共に、当病院を訪問。一行は、 HIV ワクチン開発国際会議に出席した後、カンボジアで激増しているエイズ感染について討議しました。また3 月後半にはハーバード公衆衛生学校の免疫伝染病部およびハーバードエイズ研究所のトウン・ホウ・リー医師が病院を訪れ、その研究と免疫学における経験を発表。彼は、シアヌーク病院とハーバードエイズ研究所とのHIV/エイズ共同研究の可能性について、様々な意見を提示しました。


ラタナキリー州出身のケア医師に訊く

 厚生省より、シアヌーク病院に対して、ラオス国境近郊のラタナキリー県出身の医師セング・ケアさんとコス・ポロさんに、外科と麻酔の研修を受けさせてほしい旨の要請がありました。ケア医師は、1997年に医大を卒業したばかりで、外科医を志望していました。

 ケアさんは、
「ここで働けることは、大きな希望を与えてくれ、また貧しく、治療を必要としている患者への関心を深めることができています。この病院の医師と看護婦の皆さんは、理想的な関係を維持しています。彼らは一緒に働きまた学んでおり、膨大な労働量にも関わらず、一切不満なども聞きません。患者たちもみな心から満足し、ここで治療を受けられた幸運に感謝しています。私はまだここに来て3カ月半にすぎませんが、患者の手当てについて貴重な学びをさせていただいています。外科医の方々は、いつも私に重要な事項を指導し、また見せてくださり、講義の後には実習の時間をとってくれています。1 年間にもわたってこんな充実した研修を受ける機会を与えていただき、幸せです。故郷に帰ったら、ここで得た経験をすべて活かして、人々の救済に尽くしたいと思います」

患者の物語
「患者本位の治療方針に感激」 カオ・ブシーさん
 カオ・ブシーさんは、3 日間にわたる激しい衰弱、黒便、一時的な意識不明、吐血などの症状を呈し、病院に収容されてきました。
 診断の結果、胃または腸の上部に激しい出血が認められたため、生命維持液の静脈内注入と投薬が施されました。
 この種の症状に経験ある医師たちは、出血は命に関わる状態まで続くことが多いため、緊急手術が必要になる可能性を示唆しました。しかし残念ながら、当病院には24 時間体制で緊急手術ができるスタッフは配備されていません。

 患者は我々の英語教師の1 人の実兄でもあり、我々の手で彼を助けたかったのですが、安全のために緊急手術ができる他の病院へ転送。内視鏡検査の結果、胃に2 カ所の潰瘍が認められたため、病院スタッフは輸血の続行を勧めましたが、結局、出血が止まったため退院することになったのでした。

 しかし、シアヌーク病院医師と検討した結果、帰宅させるのは早尚であると判断、当病院内科病棟に収容し、監視を続ける方針を決定。輸血に関し、ブシーさんとその家族とかなりの時間をかけて話し合いました。カンボジアにおける貯蔵血液には非常に高い確率で HIV ウィルスが保有されており、必ずしも必要でない輸血をすればHIV に感染する恐れが大きくなります。彼と家族は、彼の長期的な幸せを考慮して輸血をしない治療法に納得し、賛同したのでした。

 こうして、ブシーさんは、いくつもの潰瘍の元になっている細菌源に対する投薬を受け始めました。二日後にはみるみる回復し、血球数も上昇。やがて、自身の体で必要な造血作用が蘇ったことが確認されたので、輸血は不要になりました。ブシーさんは、飲酒、喫煙あるいは出血を引き起こす可能性のある服薬などを避けるよう指示を受けたのち、無事退院したのです。

 胃腸出血の再発を予防するための医薬は高価ですが、貴重な生命が奪われるのを防ぐために、処方する価値があったといえるでしょう。この症例はまた、カンボジア人医師たちにとって、輸血などの人為的措置の利点とリスクを学ぶ機会となりました。

 インタビューに答えて、ブシーさんは次のように語っています。
 「ふつうカンボジアでは、お金がないと治療を受けられません。幸運にも、私はこの病院ですばらしい手当てと看護をしていただくことができました。スタッフの皆さまは、本当に心温かい方々でした」

 また彼の妻は、
 「この病院は、他の病院と全く違って、本当に患者のことを考えてくださっています。ここでは、外国人とカンボジア人のお医者さんや看護婦さんたちが、分け隔てなく一緒に働いておられます。この国に来て、指導をされたり経験を伝えてくださっている外国からの医師の皆さまに、心から感謝いたします」


「強盗の銃撃から回復」 フォウン・ソチェットくん
 フォウン・ソチェットくんは、自分のスクーターを強奪した犯人に右脚と左腕を撃たれ、当病院に運ばれてきた16 歳の少年でした。

 最初の弾丸は左腕の筋肉を貫通していたため、消毒洗浄をして包帯を巻く必要がありました。二つ目の弾は脚に当たって腓骨を折り、足首の関節のすぐ外側に留まっていました。弾丸は摘出され、脚は副木で固定されました。

 こうした露出骨折の場合、手当てが遅れたりできなかったりするために、感染症を併発することが少なくありません。骨の感染は長引き、治療も遙かに難しくなります。ソチェットさんは、幸い傷口はきれいで感染していなかったので、まもなく退院できました。脚も完治するはずで、サッカーや普通の活動ができるようになるでしょう。

 「息子が銃撃されたと聞き、この病院に入院したことを知らされるまでに、半狂乱のようになって5 つの病院を訪ね回りました。ここに駆けつけた時に、お医者さんたちがすでにX 線撮影をされているのを見て、本当に驚きました。カンボジアではお金を受け取ってからでないと、治療を始めてくれないからです。

 私の祖父、甥そして妹は、治療費がなかったために、他の病院で亡くなりました。彼らにとっては、患者よりお金の方が大切なのでしょう。ある人に息子がここで治療を受けるのにどのくらい費用がかかるのか聞いてみたのですが、無料だと知って、信じられない思いでした。この病院のすべてのお医者さんとスタッフの皆さまに、心からお礼申し上げます。この病院が、カンボジアの貧しい人たちをたくさん救ってくださることでしょう」
 父親のルワット・コム・フォウンさんと奥さんは、微笑みを浮かべて、うれしそうに語りました。

スタッフの横顔
ソック・クンさん
 貧困で治療を必要としている人々に尽くす医療スタッフ募集について耳にしたとき、クンさんはすでにフランスの大学を卒業し、ジャーナリズムに従事していたにもかかわらず、当病院で働きたいと切実に思ったそうです。

 当時、医療関係以外で募集されていたポストは、ドライバーのみでした。

 病院にいる間は、いかなる業務であっても役に立ちたいという彼の意志は、医療物資の荷解き、包装材料の再利用、そして病院内における患者の移送などに活かされています。そうした作業の合間に、彼は患者やその家族と交流のひとときを見つけています。彼は、貧しいにも関わらずこの病院で手厚く行き届いた治療を受けられることに患者たちが喜ぶ姿を目の当たりにし、深く心を動かされたといいます。彼は、業務能力を高める方法を思慮深く追求し、また自身の英語能力向上に余念のないことで、スタッフの模範的存在になっています。

 書類をカンボジア語でタイプしなければならないとき、あるいはフランス語への翻訳が必要なときは、クンさんは進んでその語学力とコンピュータ技術を生かしてくれます。また、ジャーナリズムを学んだ彼の経験は、写真を掲載するこのニュースレターの製作に不可欠です。その後まもなく、広報部のスタッフとして異動になったクンさんは、現在ニュースレターのための医療記事や患者インタビューに添えるための写真撮影について、熱心に学んでいます。

 残虐なポルポト政権が支配していた時代に、多数の人々が僻地の州まで徒歩での行軍で追放されましたが、彼の家族はそこから苦労してプノンペンに戻った最初の人々のうちの一でした。この体験が、苦しむ人々に対する彼の強い慈愛の根源になっているのです。自己学習を継続する機会を授かったことに対する彼の感謝の想いは、自分が何か役に立てると判れば、他の部署にまで応援に駆けつける積極的な姿勢に表れています。 11 月に派遣団が来院した際には、派遣団が支援物資として持参したスーツケースや物資の箱の照合のために600 個もの荷物票を作成してくれました。また、募金用ノートカードセットに使用するためのカンボジア風景の絵のスキャンも委託されています。彼は、ユーモアを交えたり楽しみながら、スタッフたちから次々と依頼される要請に、疲れ知らずに応えています。

 彼のプロ意識、そして全体のチームワークや団結を優先する無私の姿勢は、病院スタッフ、患者そして多くの訪問者たちに感銘を与えており、みな彼の優秀さと温かさを称えています。

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