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どんなに貧しい人でも無料で治療が受けられる、カンボジアのシアヌーク病院 サイトマップ
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カンボジアの今
カンボジアという国。カンボジアがなぜ、困難を抱えているのか。歴史を振り返ると、その理由がご理解いただけることでしょう。
シアヌーク病院開設当時のカンボジアの状況 私たちが医療を行っているこの国
人口1,140万人。その85%が地方に住み、自耕自給農業でかろうじて生き延びています。 250人に1人が、切断手術を受けています。医療サービスを受けるゆとりがあっても、病院に来られる人はわずか47%です。公的な保健サービスにアクセスできるのは、地方では人口のわずか25%です。都市住民は80%がアクセスできますが、サービスを受けられない貧困層が大多数です。
カンボジアの平均寿命は、わずか53歳。人口の50%が17歳未満です。子供の40%は栄養失調です。
出生率はアジアで最も高い国のひとつで、43/1,000(2.8%)です。乳児死亡率は、115/1,000人です。5歳以下の死亡率は181/1,000人です。
識字率は平均60%です。男性は平均して2.3年、女性は1.7年の学校教育を受けています。 安全な水を飲める人は、わずか64%です。 1人当たりのGDPは300ドルと推定され、平均的な家族は6人家族、平均的な家計月額は116ドル、その75%が食糧と住宅に費やされ、医療に遣われるのは8%です。
(1996年現在)

 25年間にわたる社会不安が、教育や医療、政府機関と社会インフラを破壊しました。
その結果が、貧困・栄養失調・教育の貧困、貧苦と疾病の悪循環なのです。

シアヌーク病院は、信頼できる医療を無料で提供することにより、
この悪循環を断とうと努力してきました。


 従って私たちは、医療ニーズに対応するだけでなく、次世代の医療専門家に慎重な臨床訓練を行うことができるよう、カンボジアの人々に教育のチャンスを提供することを目標にしています。


カンボジア王国の地理と歴史
 東南アジア中部、インドシナ半島の南東部に位置する国。面積18万1,035平方キロ。

 タイの入江とベトナム半島の間、北はラオスやタイと接する国土に、1,140万人の国民が生活していました。主要水路には中国から続くメコン川や、トンレサップ湖の豊かな漁場に水を送り続けるトンレサップ川があります。首都プノンペンは、かつて「アジアの小パリ」と呼ばれた都。(1996年現在)

 内戦の痛手を蒙ったこの地で、
シアヌーク病院は活動を始めました。

西 暦
出来事
800年 400年間のアンコール帝国に続く700年間の衰退
1863年 フランスの植民地支配
1953年 シアヌーク王が90年に及ぶフランス植民地支配より独立を確立し、15年間の統治を行う。
1969〜75年 ベトナム戦争がカンボジアに飛び火し、社会経済の困窮と、国境付近での動乱が起こる。難民や流出した人々が、共産主義のポル・ポト部隊に参加。ポル・ポト派が地方を掌握、続いて1975年4月にプノンペンを制圧した。
1975〜79年 ポル・ポト派が支配し、教育を受けた人々の大量殺戮を行う。すべての機関の壊滅、残虐かつ過激な強制労働による農業改革。死者200万人。
1979〜91年 ベトナム軍がカンボジアに侵攻、ポル・ポト派を追放し、11年に及ぶ占領状態となる。
1991年 パリ包括和平協定により4派が和平合意。
1992〜93年 総選挙を国連が支援。
1993年 選挙および2政党連立の不安定な合意。
1998年 総選挙



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